神田沙也加の急逝から6日。
紅白歌合戦の辞退を噂されていた母・松田聖子が、予定通り紅白に出場する見込みが高いというニュースが飛び込んできた。
神田沙也加の訃報が流れた時、「さすがに喪中となるし、今年の紅白は辞退するだろう」という声も多かったので、今回、松田聖子が紅白出場の意向を示したことについて賛否両論が巻き起こっている。
しかし翌日、松田聖子サイドから「やはり紅白は辞退する」ということに…。
芸能という道で生きる人間からすると紅白出場は正しい選択かもしれないが、そこで辞退することは親として正しい選択だと言えるだろう。
もちろん正解も不正解もないが、今回の件に関してはある視点の違いによって賛否が分かれているということに気づいた。
非常に興味深い話なので、これからそのことについて書いていこうと思う。
松田聖子の紅白出場に賛否両論の声
まずは松田聖子の紅白出場について様々な意見をまとめてみた。
- 紅白の松田聖子の時間だけは絶対に見る
- これぞ昭和の歌手魂!
- 何年も紅白を見てないが今年は見ようと思う
- 苦しい時ほど仕事した方が精神的にいい
- このプロ根性は見届けるしかない!
- 無理しないで頑張ってほしい(泣)
- さーやはそれを望んでるんだろうか?
- 時代に逆行しててなんか嫌だ
- なんか出てほしくないな…
- 喪中に紅白って違和感がある
- 喪に服さないとかドン引きだわ
- 周りに気をつかわせるから辞退すべき
- らしいっちゃ、らしい
- メンタルすごいな…
- もうこれ黒白歌合戦だろ
- 何歌うのか気になる
- 視聴率がすごいことになりそう
- 泣きながら歌う姿が見える
紅白歌合戦という番組自体は、観るも観ないも個人の自由なので炎上するほどの話ではないと思うが、ツイッター、ヤフコメ、5ちゃんなどを見てみると、本当に色んな意見が入り交じっていた。
また世代によって大きく意見が異なるところもポイントだと感じる。
たとえば、40代以上の昭和世代なら松田聖子の活躍や神田沙也加の成長など知っているので、「素直に聖子さんの紅白出場を応援したい」という意見が多く見られる。
一方、20代以下の世代となると、松田聖子が歌手であることは知っているけれど、神田沙也加の母親としての振る舞いを優先する考えを持つ人が多い印象を受ける。
なので、世代によってまったく意見が異なるのである。
要は、松田聖子を『苦難を乗り越えた元トップアイドル』という視点で見ているか、『神田沙也加を偲ぶひとりの母親』という視点で見ているかで賛否両論が分かれるというわけだ。
もちろん、正解も間違いもない。
今回のケースに関しては、応援したいなら観ればいいし、気に障るなら観なければいいだけのことなので、あとは紅白という舞台で『一人娘を失ったばかりの松田聖子がどんなステージを見せてくれるか』というところに注目が集まるだけだ。
実際、このショー・マスト・ゴー・オン精神に賛否の声は分かれるが、個人的にはそこが松田聖子の凄さであると感じてしまった。
聖子と沙也加の特殊な親子関係
一人娘・神田沙也加の死を乗り越え、紅白歌合戦への出場を決めた松田聖子は、こんな思いを口にしているという。
「娘のためにもしっかりと歌わないと。娘に恥じないようにしないといけない」
出典:日刊スポーツ
神田沙也加の急逝を受け、松田聖子はしばらく周りの人たちが声をかけられないくらい落ち込んでいたそうだ。
特殊な親子関係だったために、最後の7年間は娘・神田沙也加から絶縁されていたというが、親としてはどんなことをされたとしても、子供に先立たれてしまうことは自分が死ぬことよりも辛い。
どんな親も、自分の方が子供より先にこの世を去るものだと考えているからだ。
以前、親が自殺をした子供たちの生活を追うドキュメンタリー本を読んだことがあるが、その子供たちのほぼ全員が「自分のせいで親が死んだ…」と後悔するのだそうだ。
子供でさえそうなのだから、自死を選んでしまった子を持つ親も、同じように自分を責め、苦しんでしまう。神田正輝も松田聖子も、今回の娘の訃報に自分を責め、後悔する気持ちを抱いてしまうのは自然なことなのだ。
たしかにこの7年間、神田沙也加は、結婚式に母・松田聖子を呼ばなかったり、弁護士を通じてでしか連絡を取らなかったりと、娘が母を拒む状況にはなっていた。
ただ、松田聖子も神田沙也加も同じ業界で仕事をしているのだから、お互いに何か大きなことがあればすぐに情報として入ってくる。そんな環境だからこそ、7年間も絶縁しててもどこかしら安心感はあったのではないかと思う。
その辺りは生死がわからない絶縁状態とはまったく異なる。
なぜそのような状況になったのかというと、松田聖子が家族で経営していた事務所を一方的に離れ、不倫の噂のあったマネジャーと一緒に新しい事務所を設立したことがきっかけとのこと。
それと重なって、『親の七光り』という呪縛から逃れたい思いもあり、二人の関係は非常に遠いものとなってしまった。
それでも松田聖子は、神田沙也加が結婚したときに何度も「おめでとう」の言葉を伝えようとした。(結局、それは全て無視されてしまったが…)
つまり、二人は絶縁状態ではあったが、松田聖子から親子の縁を切ってはいなかったと推察できるということだ。
そう考えると、松田聖子が娘の訃報を知った時、人目をはばからず号泣したというのも頷ける。
僕も自分に子供ができるまで、親の苦労や大変さがわからずに反発しまくっていた時があった。結婚し、子育てをしてからようやく、親の気持ちがわかるようになり、そして感謝の気持ちが芽生えるようになった。
これは別に珍しい話ではないと思う。
独身時代にもよくそういう話を目上の方から聞かされた。
でも、親の苦労は実際に子供を持ってみないと本当にわからないのだ。
人とはそうやって理解を深め、成長する生き物なのだが、そのためには前へ前へと進んでいくしかない。
神田沙也加にもその先の未来に、母・松田聖子と和解するというストーリーが待っていたのではないかと思うと残念でならない。
そんな松田聖子が、一度は「娘のために紅白という舞台に立つ」ということを決めたことは、そこに大きな決意があったのだろうと思わされる。
松田聖子のプロフェッショナル精神
今回の松田聖子の紅白出場意向について、ネガティブな捉え方をする人も多い。「親として喪に服すべきだ」という声もあれば、「お涙頂戴で人気を得ようとしている」という声もあった。
ただ、僕は「娘のために」という理由で晴れ舞台に立つ松田聖子のプロフェッショナル精神に凄みを感じた。
昭和のトップアイドルだった松田聖子は、とにかく常にLIVEでアイドルを演じてきた。いま流行りのリップシンク(口パク)などはなく、歌番組の収録でも常に生歌を披露してきた本物の歌手だ。何もかもお膳立てされた着飾りのアイドルではない。
今ではあまり観られない生放送でのトラブルなども乗り越えてきて、今がある。
1983年3月28日、6位にランクインした「秘密の花園」を歌うため、沖縄から生中継で出演予定だった松田聖子が、番組開始直前のコンサート会場で「渚のバルコニー」を歌唱中に乱入してきたファンから突如暴行を受け、中継ができなくなるという事件が起きた。(ザ・トップテン)
1983年11月28日、松田聖子の「瞳はダイヤモンド」が1位にランクイン。10曲連続トップワンをお祝いし表彰しようとしたところ、観客の男が乱入してくるという騒動があった。(ザ・トップテン)
初登場の松田聖子は羽田空港に到着後すぐランプエリアで歌い、その後甲子園から梅田へ向けて走る阪神電車の車内で歌ったり、松本城などからの中継もあった。(ザ・ベストテン)
出典:Wikipedia
また、オーストリアで行われる夜のヒットスタジオの20周年記念(1988年)に出演予定だったが、交通事故のために出演ができないこともあった。それでもニューヨークから電話で出演したりと、とにかくハンパないプロ根性の持ち主だ。
当時、寝る暇もないくらい引っ張りだこだっただけではなく、ブリっ子として嫉妬されまくっていたことも記憶に残っている。
聖子派・明菜派といったアイドルファンの派閥もあったくらいなので、熱心なファンもいれば熱心なアンチもいたということだろう。
2000年代だと元AKB48の前田敦子みたいな感じをイメージすると手っ取り早い(彼女も顔面センターとか言われてアンチが多かった)が、当時の松田聖子はテレビ主流の時代ということもあってその何倍も国民からの注目が集まっていたように思う。
とにかく、数々の逆境に打ち勝ってきた歴史があるのだ。
また現代のように自己発信できるSNSなどもない。
ゴシップ誌には書きたい放題やられても、ツイッターやインスタで反論もできなければ、ファンや中立派からの援護射撃も一切ない。ある意味、強くなくてはやっていけないのである。
だから、昭和のスターというのは実力で勝負するし、非常にミステリアスな部分が強い。
今回、「松田聖子のメンタルが強すぎる」と揶揄する声も挙がっているが、メンタルが強くなければ生きていけない厳しい芸能界で勝ち上がってきているのだから仕方がない。それだけ松田聖子は特別なのだ。
だからこそ、とても還暦前とは思えない美しさと体型を維持している。
これを自己顕示欲の強さだと思う人もいるかもしれないが、10代の頃からアイドルとしてデビューし、熱烈なファンがいることを考えれば、それは最早自分だけの人生ではない。決して令和の価値観では測れない歴史がそこにある。
今でこそ芸能人とファンの距離が近くなっているが、僕のような40代からすると今回の松田聖子の紅白出場に対して「さすが昭和のアイドルはプロフェッショナルだ」と、その勇姿を観たいと思ってしまう。
「娘のためにもしっかりと歌わないと。娘に恥じないようにしないといけない」
芸能界で成功した人が、『自分の子供を芸能界に入れたくないと思ってる』という話は以前、神田沙也加の記事でも話したとおりだ。
神田沙也加が35歳という早すぎる死を迎えたことを、親として後悔していないわけがない。
しかし後悔したからといって、長期間喪に服していたからといって、大切な一人娘が戻ってくるわけではない。自分の人生への葛藤も強いに違いない。
そんな松田聖子が失った娘のために歌うというのだから、プロとして紅白というステージに立つ松田聖子の姿を見届けたかった人も多いのではないだろうか。
一転、紅白を辞退することに
松田聖子が紅白に出場する意向を示した翌日、一転して紅白出場は辞退するとの報道があった。
NHKからは「理由や経緯についてはお答えできない」とのことだったが、この件に関しては誰も異論はないだろう。
そこで「出るべきだ」という非常な人間はいないし、この訃報に傷ついている人も大勢いる。何よりもここで辞退することは親として正しい選択だと多くの人も納得できる。
松田聖子の芸能生活を考えると、紅白で娘のために歌うという姿勢は理解できるし、その覚悟には胸を打たれるものがあった。
しかし、親は親なのだ。
どう考えても立ち直るのには時間がかかる。
しばらくゆっくり休んでもらいたいと思う。